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肥後日向両国之図

  • 解 説

    本品と「筑後筑前豊後豊前四ヶ国之図」は一連の絵図で、本品に寛文4から11年(1664~1671)に肥後国に領地をもった戸田忠治の名前があることから、二つの絵図はこの時期の状況を描いたものと判断できる。譜代大名の内藤家は、延享4年(1747)に磐城平から延岡に転封し、日向国臼杵郡にある延岡城の城主となった。延岡城は古くは県城と称し、有馬時代に延岡城と改称される。本品が描かれた時代、城主は有馬氏だが、城の表記はまだ県城となっている。なお、内藤家の治めた延岡藩領には四ヵ所の飛地があり、その一つは日向国宮崎郡にあった。119㎝×144cm。

  • 資料番号

    2016新収007