甕形土器
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出土地
板付(いたづけ)遺跡
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サイズ
高さ:27.0cm
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解 説
板付遺跡は、福岡県福岡市博多区に所在する縄文時代晩期から弥生時代中期にわたる集落遺跡である。
1951年から日本考古学協会などにより本格的な発掘調査が行われ、明治大学は1968・70・74年と3度にわたり単独で発掘調査を行っている。
特に縄文時代晩期の水田、弥生時代前期前半の環濠・水路・堰などが検出され、日本における開始期の水稲耕作の遺跡として著名である。
画像の甕形土器は、いわゆる「板付Ⅰ式土器」として弥生時代前期前半に位置付けられており、胴部の張りが少なく、やや外反する口縁部(如意形口縁)、表面は縄文がなくハケメ調整と呼ばれる櫛状の痕跡が残る丁寧な仕上げを施すなど、縄文土器とは異なる特徴をもち、稲作開始期の土器の代表例として知られている。
こうした特徴を持つ土器は「遠賀川式土器」と称され、その分布が稲作の広がりと強い関連を示すことが指摘されている。